死者への手紙15-731(シャンソンの夕べ)

お客様のシャンソンコンサートに行きました。

市ヶ谷の「エトワール」
このお店の主催者の方はフランス語に堪能で、
シャンソンを美しいフランス語で歌わせたい、と
研鑽されている、大変歌の上手な方でした。

私は最近、ひばりとか、ちあき、などの歌い方がうまいと思っていたけど、
ちょっと考えが変わりました。
菅原洋一の「風の盆」(Bm)(詩、曲:なかにし礼)を聞いてから、
また、おばあ様を連れていきたかった、という思いもあり
彼の歌い方が好きになりました。
あまりテクニックを使わなくても、言葉が伝われば、聞けるし、
ひばりはうまいけど、重苦しく感じるようになりました。
面白いことに、出だしは「今日でお別れ」(詩:なかにし礼)そっくり

私のお客様である彼女は「年齢不詳、性別不詳」と言って自己紹介後
「アカシヤの雨が止むとき」を歌った。
あっさりと、よかった。
作詞者の、みずきしげる だったと思うけど、肺病で入院中にこの詩を書きました。
芹沢光冶:「パリに死す」から発想したそうです。
叔父が担当医だったようです。はなみずきが好きだったんだろうね。

あの頃の行歌の生産形態は、レコード発売会社が、お抱えの(専属の)作詞家、作曲家を持っていて
毎月詩がB5くらいの小冊子にたくさん載り、それを専属の作曲家が曲を付けていたと思う。
なかにし礼あたりから、形態がが変わり、外国レーベルで専属作詞家でなくても詩を持ち込んで発売できるようになったと思う。

小雨のあがったパリの朝
濡れた石畳の上で
こうもり傘(皮と骨ばかり)のお婆さんが、男ども相手に喧嘩してるのを見た

エトランゼにとっては、パリってなんでも絵になっちゃう、詩になっちゃう街だね。

恩師とおばあ様の句

 パリの時雨に 妻待つ辻の 明るさよ  (かやお)
画像

 
 吾今だ 若き血のあり パリの朱夏   (直子)


おばあ様はパリが大好きだった。
1週間ほど滞在して、モロー、セザンヌ、ピカソ、ゴッホ・・・と美術館をあちこち回って
すっかり「パリが自分の庭みたいになったわ」と喜んでくれた。

夕べ、NHK第2で、戦後の日本の歌の系譜、の番組があり
校内暴力、クラス崩壊などの問題の起きたころ、90年前半
尾崎ナントカ?が出て、若者に支持を得て、ブームになり、その後彼は自殺
をテーマに、フォークのあと、ニューミュージックから、彼のロックの時代を考察した番組。

彼の詩の内容は、
社会(学校教育)に対しての反抗
(校舎のガラスを全部割る・・・とか、
バイクを盗んで夜の闇に逃げたが、自由にはなれなかったとか)
青春におこる葛藤

《以下は私の解釈》
抑えきれない自我:生々しい自我(フロイト的に言えばエドまたはイド)と、
外部(社会)からの圧力(フロイト的に言えばスーパーエゴ)の対立

エドとスーパーエゴの対立
彼のスーパーエゴに反抗するエドが、メディア(音楽才能)を通して、
社会に訴えて(コンサートを開いて)拡散していった時代、
その同調者がたくさんいた時代なんだね。
彼の声は魅力的だ。

彼はエドを音楽で解放するのだけど、解決策にはならないと苦悶する。

私は彼らはとても弱い自我をもっていたのだと思う。

エドとスーパーエゴの葛藤をみるもう一人の自分がいるはず。
その自分を含めて、3つの心をうまくコントロールすることによって自我(self)は成長するのだと思う。

フロイトは二つの自我(エドとスーパーエゴ)を発見して、
その対立からいろいろな精神病を発見したが、
ユングはフロイトをさらに進めて、3つの心をコントロールできる自我(self)を定義した。

尾崎は普通より強いエドとスーパーエゴを持っていたのだと思う。
(のんびり生きてきた人々とは違って)

彼は高校退学などでくじけないで、勉強してほしかった。

なんて思いながらラジオ聞いてた。

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